2010年6月21日月曜日

本は読めない
ものだから
心配するな。

まいど、くだらないことを話すのですが。

透明標本。











だから・・・色つきの女でいてくれよ。


この週末ずっと考えてたのは、
いかに、めざましテレビの大塚さんになれるかをだ。
大塚範一さん、にだ。

「私と大塚さん」という文章を書こうと思えば、
まぁ、原稿用紙10枚くらいは書けるであろう。
思い起こせば大塚さんとの出逢いは、
NHK-BS放送の黎明期、真夜中のアメフト中継である。
北の街での青春悶々期には、
大橋巨泉さんのゲスト解説とともによくお世話になったものだ。
おかげで、取り返しがつかない程、
学業をおろそかにしたこともまた、事実である。

彼と私の共通点は、
血液型・星座・そして未婚。
しかし、私ができないのは、
この、こんな、ひどいデレ顔をテレビ画面で魅せることだ。









「うそっ。」

さて。


蒼井優展『うそっ。』鑑賞
at 名古屋PARCOギャラリー。

かわいいっ。
それ以外の言葉があろうか?
いや、ない。
赤と青と白のラインの空間を
これまた可愛らしい3Dメガネで体験する不思議な世界。
蒼井優さんは、
透明度を持った色つきの女、
あやうげなカラーガール。





会場で先行発売されていた
蒼井優 うそっ。」(パルコ出版)購入。
電子書籍時代がやってこようかというに、
彼女の横顔を象ったポップアップBOOK、
飛び出す絵本なのである。
蒼井優さんという存在とそのコンセプトの勝利。
やはり、ADはドラフトの平野篤史さん。
彼女の2010年カレンダーを購入できなかった
意気地なしを嘆くも、時すでに遅し。
装苑」7月号の
「蒼井優のうそっ。」の番外篇と
大森伃佑子さん
RE GIRL」(辰巳出版)をあわせて読めば・・・

この鬱陶しい梅雨と言うか、夏雨をのりきれるはずだ。
たぶん、きっと。















先行販売のポップアップBOOK展覧会限定セットを購入すれば
「蒼井優トークイベント」への抽選の権利がいただけた。
大塚さんに一歩近づけたはずであったし、
当たればサッカー日本代表なんかくそくらえであった。
結果はみごとはずれ。
どしゃ降りの雨の中、わたしは泣いた。

「うそっ。」

ヴィジニウス・カントゥアリアさん
サンバ・カリオカ」購入。
梅雨空の鬱陶しさを晴らすのは、
やっぱり、ボサノヴァか。
プロデュース:元祖メガネ男子:アート・リンゼイさん
参加ミュージシャンには、
ブラッド・メルドーさんやら、ジョアン・ドナートさん
マルコス・ヴァーリさんビル・フリーゼルさんら。
ピアノがいいのだ。


管 啓次郎さん
本は読めないものだから心配するな」(左右社)
タイトル買い。止められない積ん読人生を慰めるもの。
当然、まだ読んではいない。
「読書とは、一種の時間の循環装置だともいえるだろう」とか、
「読んだ本の大部分が 
読まないのとまったくおなじ結果になっている」とか
「言葉は、厚みもひろがりもなく 
温度も湿度もなく、ただそこにある」
なんて書いてあったら、もうそれでおなかがいっぱい。


そんななか、
愚にもつかぬ青春小説ばかり、
反面教師がわりに読んでいた。
森見登美彦さん「四畳半神話大系」「太陽の塔」「夜は短し歩けよ乙女
次男、長男、長女というべきか。
ところで、活動漫画版「四畳半神話大系」はすごいことになっている。

お時間です。


ことば ことば ことのは
ただ言葉がならんでいるだけなのに。



まぁ、数がどうとかではないんだけど。

2010年6月12日土曜日

そして毎日はつづいてく
・・・AND THE LIFE GOES ON。

まいど、くだらないことを話すのですが。

クーシュィクワァンポーディェンタイ・・・
(人民帽の方が森田一義さんです。)













テュリャ テュリャ テュリャ 
テュリャ テュリャ テュリャリャって
あの日、あの時間から
もう一週間が過ぎ去ってしまった。

そして毎日はつづいてく 丘を越え僕たちは歩く
美しい星におとずれた夕暮れ時の瞬間
1番ホームから南の街へと快速電車に飛び乗る。

ひふみよ 小沢健二 コンサートツアー 二零一零年 五月六月
at 中京大学文化市民会館 オーロラホール

『うさぎ!』の朗読会なら面白い。
(2010.1.16)
twitter上で復活の噂を知った時にこうつぶやいたほどに
全てを受け入れようと考えていた。
1階最後列というのは、より客観的なれる最高の席だと思った。

『門構えに音と書いて「闇」と読んだ』
真っ暗な中、「流星ビバップ」がつづく。
「仔猫ちゃん」と言われたい女の子ちゃん達を焦らすように。
”真っ暗闇の中聴いた音楽は
言葉の一つ一つがはっきり感じられて、
まったく違って聴こえた”という
ニューヨークの大停電についての朗読が
音楽のほんとの意味を感じさせる。
このえらく挑戦的な演出が、
このままずっと続いても面白いかもと考えていた。
仔猫ちゃんみたいに、涙を浮かべながら。

旅を続けてきた人が
「ぼくらが旅に出る理由」を唄う説得力は他にはない。
以前のように「何を書いたかはナイショ・・・・なのさ」なんて、
音楽的フックで仔猫ちゃんを煽ったりもしない。

ギターをかき鳴らす姿に
「ロックンロールよ永遠なれ」と
同じくギターをかき鳴らす山下達郎さんのライブを思い出し、
「天使たちのシーン」のアレンジは、
カエターノ・ヴェローソさんを思い出す。

朗読中に演奏される13拍子のインスト曲。
新曲の「いちごが染まる」の3拍子。
「カローラⅡにのって」のインド・バングラディシュ歌謡、
またはエチオピークシリーズに出てきそうなアレンジ。
(環インド洋音楽?)
ディスコ「天気読み」。
みんなが16小節をラップした「今夜はブギー・バック」
「夢が夢なら」のレゲエアレンジ。
はたまた、岡林信康さんや大瀧詠一さんを思わせる
民謡/音頭の新曲「シッカショ節」。
世界の大衆音楽集のような時間。
旅の途中で撮られた映像が流れる。
彼は言った、
「この街の大衆音楽の一部であることを誇りに思います。ありがとう。」

朗読される内容も旅から得られたであろうことが多いが、
その根本は、
「犬は吠えるがキャラバンは進む」のライナーノーツ
時に犬になったり、キャラバンになったりしてものを見ることや、
オリーブ連載「Doowachalike」75回(最終回) 『無色の混沌』と変わらない。
分け隔てることの無意味さ、
二分法での判断の愚かさ、みたいな。

14年という時間が経っているが、
その時間を計算しつくしたかのような新鮮な表現。
意表のつかれ方は、
1994年の春に北の街でみた「DISCO TO GO」ツアーの初日
(ラブリーの歌詞を上越新幹線の中で書いたという、
・・・その時は「ジャクソン」って曲名だったような)
1曲目にやったシュガーベイブというか、
本人曰くEPOの『DOWN TOWN』のカバーが、
時間とか空間とかいろんなものが繋がる瞬間を感じさせる
身震いしてしまう表現。というか・・

・・・・なんか、うまく云えねぇなぁ・・・

「暗闇の中で音楽は甘くいつもよりくっきりと聞こえ、
演奏している人や歌詞を書いた人の気持ちが、
雪の上の足跡のようにはっきりと見える。
そして同じ暗闇の中に同じ音楽を聴いている
同じ気持ちの人達がいることを感じることができる。
普段とは違う世界で、違う世の中が見える。」

もちろん記録化されることを望むが、
音楽のライブ性と消え逝くはかなさについて考えるのもいい。
「だけど真っ暗闇の中で音楽を聴いていたこの日のことは絶対に忘れない。」
まぁ、忘れてしまうかも。
想い出は月の光。

ただ、にんまりと時を過ごす。
ドアノック・ダンスは踊らなかったが、まぁ、楽しみ方はそれぞれ。
レディスMサイズしか残っていなかったが
記念にと購入したTシャツのウサギの絵の顔は、
試しに着てみたら広がった。
うさぎ!」をじっくり読む。紡がれた言葉を感じる。

いろんな方のブログを読んで細部を思い出す。
こういうことを、ほんとは話しあえると楽しい。

お時間です。

山下達郎:「街物語」
落語のような音楽。初音映莉子さん!
ある種、小沢健二さんも落語のような音楽。
方法論が違うだけ。外側に出る旅か、内側に出る旅かの違い。


Mulatu and the heliocentrics:「Yekermo sew 」